2012年7月20日金曜日

7月13〜14日の七ヶ浜ボランティア(当日編)


7月13日(金)
当日。
通常通り仕事でした。
本来ならこの日に有休取りたかったのですが、現場の都合で無理だったので。

一度家に帰ってから集合場所の本社へ向かうのは難しいので(現場にも本社にも遠い自宅…)、ご飯食べてから銭湯行って本社へ。そのために前日荷物を置きましたし。

銭湯は銀座湯です。
この日はふれあいデー、と言うことで、なんとひゃくえん!!
そのせいなのか、浴槽のお湯が熱すぎて殆ど入れませんでした。
まあ、身体流せただけでさっぱりしましたし。

ということで、続きからどうぞ。






会社の有志、八人で向かいました。
夜の10時半頃出発、高速を代わる代わる運転してもらい(自分はペーパードライバーなので乗っけてもらっただけ)、途中SAでソフトクリーム食べたり、休憩しながらでしたが、道路は真っ暗で怖かったですね。

7月14日(土)の早朝辿り着いた七ヶ浜ボランティアセンター。
集合時間まで間がありましたし、周辺をちょっと観よう、ということになって海岸沿いをぐるっと回りました。

一見すると、元からこんな感じだったのだろうか?と震災の爪痕は特に見受けられなかったのですが。
門の一部が残され、他は根こそぎ持っていかれたような住宅跡がいくつか点在していたり。
最初スクラップ工場かと思ったそこは、壊れた車がいくつも積み重なっていた。つまり、あの車はただのスクラップではなく、あの日、流されて残った物だったのですね。

おそらくは田畑であっただろう、そこには瓦礫の山。
かつて栄えた、海沿いの町という面影は殆どみられず。
ただ、どういうことか海岸近くでも無事に見える住宅があったのも不思議でした。

一年四ヶ月。
長いとも、短いともいえないその時間。

少しずつ前に進んでいる、とはいえ。道程はまだまだ険しいように感じました。
そうこうしているうちに、朝ご飯は地元の「大衆食堂 半田屋」へ。早朝5時過ぎ、という時間なのに地元の人が結構来ていたと思います。
好きなおかずやご飯を選び、その分にお金を払う、という形式ですが自分の場合はご飯と豚汁と半熟卵と漬け物でなんと490円。
安くてしかもぼりゅーみー!満足でした。

そして、食堂のおねえさんに「どこから来たの?」と話しかけられ、
「東京から来ました」「ボランティア?」「はい、七ヶ浜のボランティアセンターにお世話になります」
「ありがとうね。来てくれてありがとう。涙が出るほどうれしいよ」
「あの、自分あまり役に立てないと思いますが」
「そんなことないよー。ありがとうね」
思わず狼狽えてしまいましたが、何度も「ありがとう」と言われました。

待機所に集合し、朝の挨拶とチームリーダーの人達の打ち合わせが終わってから、「おらほのラジオ体操」を。

Youtubeではみていましたが、実際にやってみて楽しかったです。
基本的にラジオ体操と動作は変わらず、だけど言葉が方言と言うことで、これほどまでに温かいのかと。

七ヶ浜ボランティアセンターは個人やバスツアーの人も多くいましたが、4〜数十人規模の企業から来ている団体がいくつかありました。
フランス○ッドさんとかNTT-C○Mさんとか、あとはいくつか。
自分たちも企業の団体ではあるんですが、申し込みがぎりぎりだったので個人として組み込まれました。

団体のキャンセルがあって予想よりも大幅に人数が減っていたこと、前日に天候が荒れた影響か、実際の作業は浜辺の清掃活動、ということになりました。

ただ、本部内で作業をする人が少ない、ということで自分ともう一人の仲間の女性二人で、午前中は中での作業をさせて頂きました。

学校のお掃除を思い出しました。
体育館の一部のようなスペースを使った待機所とスタッフ用の作業場の掃き掃除と、モップでの拭き掃除。
その後に兎ちゃんのお世話をさせて頂きましたが、それもまるで小学校の飼育係のようで懐かしかったです。

激励のメッセージや手作りのカードは、積み上げられて殆ど整理されていない状態なので、それを友人が整理して、自分は待機所の椅子やテーブルの掃除をさせて貰いました。
中の作業も結構色々あって、大変だったと思います。
ボランティアを支える側も、当たり前ですがその苦労を知る言い切っ掛けでした。
お茶はペットボトルだけでなく、ちゃんとコーヒーサイフォンがあったり、温かいお茶も用意できました。
せっかくペットボトルを用意しても、参加者の人達は自前のものを用意しているので、実はあまり減ってないんだよね−、と言われたのも意外でした。

お昼は、近所の福祉施設の人が売りに来たお好み焼きを棒状にした物と、ところてんを頂きました。
お好み焼きが特に美味しかったです。

午後は浜辺へ出て清掃作業。
一緒に来た会社の仲間と車が別れたのですが、企業から来ている人が車を出してくれ、作業に向かいました。
その人はもう50回以上もここに来ていると言うことです。

清掃作業、といっても、大きな物はなく、細かいゴミを片付ける作業でした。
ただ、それでも砂浜を掘っていくと色々出てくるようで。
自分の場合、特に何かを拾った、ということはなかったはずなのですが。
終わり際に拾った子供用のスリッパ、一揃い。踵の部分を互いに組み合わせて、きっちりと揃えてあった形がそのまま。

おそらくは何処かの家にあったのか。
…少し、考えてしまいました。

海岸の掃除を終え、最後に言われたのが「まだまだ人手がいる」こと、「この場に参加した人が、他の人も誘ってまた来て欲しい」(誤解していたらすみません)ということでした。
昨年の今頃はあれほどまでに「復興」だの「kizuna」だの言っていた人達。
今、彼らのムーブメントは。

あの地震によって、直接の災害を被っていない人間だからこそ出来ること、しなければならないこと。

送迎してくれた人が帰りに車をわざわざ回してくれて、ある光景を見せて貰いました。

Yahoo!ニュースか何かで観た、校庭に積まれた瓦礫とそこで遊ぶ子ども達。
思わず「この光景が、地元の人には当たり前になってしまっているんでしょうか」といったら「それは地元の人にしか分からない」と言われました。
…本当にその通りなのですが。

その光景が意味する物を考えるしかなかったです。
ああ、瓦礫の受け入れはやはり進んでいないのかな…と。

センターでは応援グッズが売っていたので、みんなでタオルを購入。もう少し余裕があればもっといっぱい買いたかったです。
色々可愛いグッズも多かったので。

そして、参加証もいただきました。

帰り、当初の予定ではスーパー銭湯によったり松島を観に行ったり、何より本場の牛タンを食べよう!といっていたのですが、ドライバーな皆様の意見により、それをやめてSAで牛タンを食べよう、ということになりました。

国見SAの「レストラン峠」で芯タン定食をいただきました。
予想以上に美味しかったです。

観光気分にはなれませんでしたが、せっかくだから楽しめるところは楽しもうと、美味しい物を食べられてうれしかったです。

結局の所、どうしてもボランティアに参加しなければいけない、ということではなく。

観光でもなんでも、直接現地に足を運んで、お金落として、お話しを聞けないまでも(近くに仮設住宅で暮らす人や被災者の方がいらっしゃいましたが、今回はお話を聞けませんでした)現地の人と触れ合うことがまだまだ必要なのだろう、と改めて感じました。

朝、食堂のおねえさんに言われた「ありがとう」、そして現地のスタッフさん達に言われた「ありがとう」
は、「何かをやってくれてありがとう」ではなく、「来てくれてありがとう」「この状況を知ってくれてありがとう」
ということだったのだと思います。

…いつにもまして文章が支離滅裂(毎回言っていない?)ですが、今回のことはやはりまとめるのが難しいです。

また、行きたいと思いますし、他の人にもどんどんボランティアに参加する、というよりまず東北へいってもらいたい、と思います。

ここまで読んで下さり、ありがとうございました。

0 件のコメント:

コメントを投稿