母が現在ホームヘルパーの資格取得で学校に通っているのですが、その勉強の一環として「笑う介護士」袖山卓也さんの講演があると聞いて、同行してきました。
実は、数年前某福祉施設のケアハウスで勤務していたのですが、ドロップアウトしました。
向いてないな、と限界感じて辞めたのですが。
取り急ぎの感想です。
ドロップアウトしたとはいえ、介護の話はもともと興味があったので「体験談とか、メンタル面でのお話しなのか」との想像で着いていったのですが。
初っ端からボディーブロー。
・腰を痛めてこの仕事を辞める人が多いが、そんなのは介護のプロと言えない、現場に入る前に準備体操もしないで何がプロか
・職員が腰を痛めてやめた、という事実を知って誰が一番傷つくか。
それは介護される側の人だ。「自分のせいであの子が仕事をやめてしまった。申し訳ない」と思うだろう
・東北の被災地の状況を聞いて、涙する暇、落ち込む暇があったらまずは目の前の介護する相手に尽くせ、彼らを元気にしろ
・自分の身体、五感をFullに使って仕事しろ
……正直ドロップアウトした人間にはきつかったです。
「一般向け」でなく、「実際介護の現場に立っている職員」相手だったので、飾りもない、現場の「プロのあり方」をびしびしと熱く語られました。
厳しい言葉でしたが、やはりいけて良かったと思います。
最後に言われたのが、ずっしり重たかった一言。
障害を持つ子供の介護をしていた頃のこと。
生まれつきの病気のせいで、手足を動かせなかった幼い少年。
そんな彼が最後に袖山先生に言ったのは、「お兄ちゃん、僕がもし手足を動かせるならお兄ちゃんみたいに人の役に立つ仕事がしたい」と。
その時は、単純に嬉しかっただけだそうですが、今となっては、
「お兄ちゃん、五体満足なのに何をしてるの?五体満足なら、なんのためにあるの」
と言われているような気がした、と。
思うように仕事が出来ない、それは現在東北で避難所生活をしている人だけでなく、生まれつき障害を持った人たち、年を取って人の世話に頼らざるを得なくなった人たちも同じ。
ならば、身体が元気な自分達は何をすべきか!?
彼らに変わってやるべきことがあるのではないか。
介護の現場にいる人間がまず、それに取り組むべきでないか。
実践論も少し話されました。
それについては割愛します。
袖山先生自身は阪神大震災と愛知の豪雨を経験し、「家財道具は一切失っても身体があればなんとかなる」との確信と、「国や制度を待っている前にまず自分たちが動け」
「私が国と闘うから、あなたたちは現場で頑張って下さい」
……政治家と名乗る人たちに是非聞いて欲しかったですね。
そしてこの前、潮九月号で読んだ「”分”を守れ”分”を尽くせ」との言葉も思い出しました。
私自身は、介護の世界から背を向けてしまいましたが、今あるところ今の仕事に懸命になればそれが社会全体の役に立つと、元気も貰いました。
しかし、自分が説教されているわけでもないのに何回か泣きそうになりましたが(笑)
明日から、また頑張りましょう!
深い、そして厳しい内容ですね(>_<)
返信削除それが真剣であるということでもあるのでしょうね。
なぁなぁではいられない。
飾りも小技もなく真っ正面から向かっていく
もっとも簡単に思えることが、もっとも難しいですね(>_<)
コメントありがとうございますー!
返信削除本当はもっと深い内容だったのです。うまく表現できなくてごめんなさい。
でも「時間が無い」「国の政策が悪い」を言い訳にするな、海外が褒め称える素晴らしい日本人だからこそ介護が出来るんだと言うのも。
また機会があればお話しを聴いて観たいと思います